2004.4.25
咳が出るようになったのは4月の中ごろくらいからだった。
一日中朝も昼も夜もコンコンコンコン・・・きつね状態だった。
しゃべったり、横になったりするとますます咳がひどく出た。
毎日のどがイガイガして気持ち悪かった。でも痰はほとんど出なかった。

去年の12月に失業してすぐ別の職場ではたらくようになった。
長時間パートとして再就職までのつなぎのつもりで行っていたところではあったが、出勤が朝になったり夕方になったり、5時間や8時間になったり(一日7時間契約なのに)、不規則勤務のハードな職場だった。
休憩時間も1時間の日もあれば4時間の日もあった。(いくら家から近いとはいえ、むちゃくちゃな職場ですね^^;)
その上苦手な接客業なので(ぷーやんは人見知りです。)ストレスもたまっていって、気分が鬱々する日が続いた。
それでも仕事を休むわけにはいかなかった。休みの日以外はずっと行っていた。

去年の10月に家を引っ越した時に埃を吸い込んだのか、新しい家に来てから最初に弟、弟が治ったと思ったら次に母がそれぞれ1ヶ月ほど激しく咳をして病院に通っていた。
二人とも気管支炎だった。
二人が治ったと思ったら今度はあたしが咳き込むようになったので、多分私も二人と同じ気管支炎だろうくらいに思って風邪薬を飲んでいた。
それでも一向に治らなかった。
もしかしたら鳥飼っているし、喘息にでもなってしまったのかな・・・とも思った。インコ達とは別の部屋で寝るようにして、部屋の掃除も念入りにした。でもやっぱり治る気配すらなかった。

しつこく続く咳なのに何の疑問も持たなかったあたしは鈍感すぎたと思う。病院へ行こうって気も全く起こらなかった。そのまま放置してしまっていました。
これが後に大変なことになるとは、その頃は思いもしませんでした。



2004.5.14 耳鼻科受診
多分この日だったと思うけど、家からチャリで10分くらいのとこにある耳鼻科医院に行った。
小さい頃、耳かきのしすぎで耳の中にでんぼ(できもの)ができて何度かこの病院には通っていた。
先生はかなり高齢だが、人柄が穏やかで優しいので結構はやっている病院だ。患者さんも子供やお年よりが多かった。
診察室に入って咳が止まらないことを言ったら、「口あけてえーって言ってみて。」と言われた。
のどを診察した先生は「のどは特に腫れてないね・・・。」と言って、細い機械で何かのどに薬を入れた。
この薬で咳が少し楽になった。
その後、のどの吸入をして抗生物質をもらって帰った。
1週間抗生物質を飲んだが、咳は一向に止まらなかった。
「あんた、やっぱりおかしいわ。内科行ってみな。」と家族全員に言われた。
それでももう少し様子見るわ、と言って頑なに病院へ行こうとしなかったあたし。バカだったとは思う。
でも心のどこかで何となく、病院に行ったら帰れないような、長期戦になるような予感はあった。
予感は的中した。



2004.5.24 初診
5月22日からついに咳が止まらなくなってしまいました。
肺が口から飛び出すのではないかと思うくらい咳こんで息も苦しかった。
仕事は土日が休みで平日はどうしても病院へ行けないので、5月24日の月曜日についにお休みもらって家からバイクで5分のところにある総合病院に行きました。

1時間くらい待ってようやく呼ばれたんですが、この時の初診の医者の態度の悪さにはムカつきました。
聴診のしかたが何か面倒くさそうな感じ。(あれぜったい音聞いてない!)
「しゃべった時とかひどく咳き込むんですよ。近所の耳鼻科へ行って薬もらって飲んでたんですけど、治らないんです。」と言ったら「今特に咳もしてないじゃないですか。胸の音もどうもないし、アレルギーじゃないの?耳鼻科行きなさい。」と人をバカにしたような口調で言ったんです!なんやねん、この医者(` ´)=3。ヤブやな。
(その時はたまたま咳が止まってただけだし、耳鼻科で治らないから内科来たんだって言ってるだろーが!)
それでも「一応レントゲン撮ってきてください。」と言ったので、胸部のレントゲン撮りにいきました。
レントゲン室で「息大きく吸って止めてください。」っていうので深呼吸。・・・あれれ???なんか息が吸い込めない。肺いっぱいに息が吸い込めないんです。少し嫌な予感しました。
そして再度診察室に呼ばれたら、ヤブの顔色変わってました。
難しい顔して「肺に水たまってるね・・・。今すぐCT撮ってきて!」と言いました。
レントゲン写真には右の肺下半分ほどが真っ白に写ってました。
(もしかしたら、癌なのかな??)と私も頭が真っ白になりました。(見事この時の予感は的中するわけですが・・・)
そのまま看護師さんにCTを撮りに連れていかれました。
テレビでよく見るあのマンホールみたいな機械にはじめて入りました。いざ自分が入ってみると変な感じでした。テレビの世界だと思ってたし・・・。
そこでも深呼吸してって言われたんですが、やっぱり深く吸えない。

また診察室に呼ばれて、ヤブがさっき撮ったCTの画像見ながらいろいろ説明してくれました。
肺癌らしきものは写ってないっぽいけど、怖くて画像直視できず。
「これは入院して水抜いたほうがいいね・・・」と言われた時、肺の水を抜くのも怖かったけど、真っ先に頭に浮かんだのはあたしが飼っている4羽のセキセイインコのピーたんたちのことでした。
あたしが入院なんてしたらあの子達の世話は誰がするの??って心配になって。
この時すぐに入院してたら結果はまた違っていたかもしれない。でもその時のあたしには入院なんてとんでもないって感じでした。
「なんとか通院で治せませんか?」「家に帰らせてください。入院はしたくないです。」等々頑として入院拒否りました。
ヤブもあまりにも強情なあたしの態度に困ったようで、看護師さんに「N先生を今すぐ呼んできて!」って言ってました。
あたしには「今日は採血と胸の水抜いたら帰れますから、ね。」と言った。
これ以上わがままを言うのも大人気ないかなと思ったので、肺の水を抜いてもらう事にした。

そして採血の後、看護師さんに処置室へ連れて行かれた。上着を脱いでいすに座ってベットにうつぶせになるように指示されました。
うつぶせになると背中に消毒薬を塗られた。ヒヤッとした感覚。今から肺に針をさされるのかと思うと逃げ出したくなった。
ドキドキしていると、N先生がやって来た。
「えっと・・・右の肺だっけ?」「はい。」と後ろで看護師さんと会話してる。うつぶせになっているので声しか分からないんだけど、思ってたより若い先生っぽいなと思った。
肺に針を刺すくらいだからベテランのDr.がやるのかなと思ったし。
N先生は「消毒はできてるかな?」と看護師さんに言うと、右の背中のワキを触診しはじめました。
指が肋骨らしきとこにぐりぐりあたっている。そして何箇所かにマジックで印をつけているっぽかった。
緊張のあまり体がガクガクと震えた。いい年して不覚にも涙が出た。するとN先生は「緊張してるのかな。大丈夫だからね。楽にしててね。」と背後から励ましてくださった。
手術に使う緑色の穴のあいた布を背中にかぶせられる。
「今から麻酔しますからね。痛かったら言ってくださいね。」と言われて背中に麻酔されました。
なかなか麻酔効かなくてしばらく痛かったけど、そのうち感覚がなくなったので「今針入っているんですか?もう痛くないです。」と言ったら

グサッ

と鈍い感触を胸の中に感じました。
「え、何今の??何かグサッって感じが・・・」と思わずつぶやくほど気持ち悪い感触だった。
肺に針がささったのだ。この感触多分一生忘れないだろうな・・・。
背後でN先生が「50cc、次は30cc(ccだったけmlだったっけ・・・忘れた〜!)」と言っている。どうやら小さい入れ物に何本も胸水を採っているようだ。検査のために取っているんだなとようやく気づいた。
麻酔が効いて痛くないはずなのに額からベッドの上に汗がぽたぽた落ちた。時間が長く感じた。
ようやく注射器が抜かれて「はい、終わりましたよ^^」とN先生。
顔をあげると、N先生が顔をのぞきこんで「若いから肺がんは考えにくいけど、結核か肺炎の可能性があるから検査させてもらうね。」と言った。
はじめてN先生の顔を見た印象は、(あっ、やっぱ若い!)だった。見た目30代。(実際はあたしより一回り上だったけど)
目がぱっちりしててリスっぽいかわいい顔した先生だった。はきはきしゃべるけど優しそうな感じがする。
これがこの先長くお世話になるN先生との出会いだった。

服を着てしばらくいすに座ってぼ〜っとしているとN先生はパソコンに向かって何やら打ち込んでいた。
「いつから咳が出始めましたか?」とかいろいろ聞かれた。
次の外来はいつが都合いいかとも聞かれたので、土曜日って答えたら、土曜日までに検査の結果を出すように看護師さんに指示をしていました。
そしてようやく病院を出れました。う〜んやっぱ娑婆の空気はうまいっ(笑)
しかしその日の診察代はなんと15600円也!!!諭吉ちゃん一枚しかなかったのであわてておろしに行って恥ずかしかった〜^^;

29日の土曜日に病院へ行った時、N先生は「胸水からは何も出ませんでしたよ。肺癌や結核の可能性は低いです。でもただの肺炎ではないですね。しばらくお薬で様子みましょう。」 と言った。
変な病気でなくてよかった。入院しなくていいんだ♪と心底ほっとした。
本当の闘いはこれからだと露ほどにも思わずに。



2004.6.17 心不全宣告
N先生の外来は、だいたいあたしの都合に合わせてくれてて土曜日が多かった。
土曜日に外来へ行った時は、内科の受付から直接あたしを呼んでくれていた。
いつもは看護師さんが「中へお入りください。」って呼ぶんだけど、土曜日は患者あたしだけだったのかな?
医者といえば、ネクタイしてパリッとのりの効いた白衣着てえらそうに診察室に座ってるイメージあるけど、この先生白衣の下はだいたい白いポロシャツでいつもボタンはずして着ている。
この先生、気取らない人なんだな、って思ったのはそれがきっかけだったように思う^^(本人も「僕はざっくばらんな性格だから」って言ってたけどね^^)
でも平日に外来へ行った時はちょっと怖い先生だなって思ったこともあった。いや、もちろんあたしやお年寄りには優しいけどさ(笑)
中年のおっさんとかには容赦ないっていうか。(そのおっさんも怖そうな人だったけど)
あたしの前に診てたおっさんに「肺がんの疑いがありますね!入院しますか??どうされますか??えっ?えっ??」ってすごい早口で言ってて、そのおっさんが泣きそうな顔して診察室から出てきたことあったから。
あたしもこの時は外で聞いててびびったよ^^;

1ヶ月近く外来に通って何回か薬を変えてもらったけれど、胸水はほとんど減らず、咳も相変わらず続いていた。
気分悪くなって夜間にも2回くらい病院へ行った。その時は当直の先生が診て下さったけれど、どの先生も口をそろえて「お年よりにはよくあるけれど、若い人が胸水たまるのはありえない。入院して検査したほうがいい。」って言った。

そして今日ついにN先生にも入院するように言われてしまった。
「今日は母も一緒に来てるんです。」って言ったら、母も呼んでくるように言われたので二人で診察室に入った。
N先生はレントゲン写真を見ながら「しばらく様子見させてもらってましたけど、どうも治りが悪いですね。この胸水の溜まり方は心不全の疑いがあるから、入院して全身検査させて欲しい。」と言った。
凍りついたあたしと母。N先生もいつになく厳しい顔してた。
心不全って・・・別に胸が苦しいとかはないんだけどな・・・ばあさんじゃあるまいし、と思いつつ、「そんなにあたし、悪いんですか?」って聞いてみた。
「心不全と確定できるわけではないけど、若い年代の人には考えられない病気の可能性がある。」って言われた。
なのにそこまで言われても、あたしはピーたん達のことが心配で、まだ入院を迷っていた。
いくら逃げても入院が避けられないのは明らかなのに。
あたしの煮え切らない態度に母が「外来でできる範囲で検査をしていただけませんか。」と先生に言った。
結局外来でできる範囲で全身の検査をして、結果が出たら入院するってことでその日は話がついた。

さっそくツベルクリン反応(結核の検査)の注射を受けた。
先生は不在だけど、19日に注射したところを別の外来の先生に診てもらうように指示された。
月曜日に(この日は先生の外来日)心エコーとCTの検査の予約も入れられた。
大変なことになったなって思った。
これからあたしはどうなっていくんだろう・・・。



2004.6.18 入院前日
昨日、外来でできる範囲で全身検査することに同意したのですが、やっぱり明日入院させてもらおうって思った。
今日は朝からお腹が何だか張って苦しくて体もだるく、熱も38・2℃。毎日してたピーたん達の餌の交換やかご掃除までもがとうとう苦痛になってしまった。
ここまでしんどいと、外来に何度も通って検査するよりは入院したほうがいいかなって思ってしまった。
急に考えが変わったのは、弟がピーたん達の面倒を見てくれることになったから。

あたしは弟とは中学の時から関係がこじれてしまっていて、この年になるまでほとんど口を利いたことがなかった。
ごくたまに口を利けば喧嘩ばかりで、どこにでもいる普通の仲良し姉弟ではなかったのだ。(二人ともAB型だからね^^;)
実の弟とこんなんだったぷーやんは決していいヤツなんかじゃないです。頑固だし、人見知りだし、あまのじゃくでそのくせ甘ったれだし。
弟と口を利くようになったのは、皮肉にもあたしの病気がきっかけだったと言える。
今まで母にピーたん達のことを頼んでいたんだけれど、責任持たない、見ないってずっと言われつづけてたんですよね・・・。
鳥が嫌いな人に頼むのが間違ってるんだけど・・・。
反対に父は鳥好きだけど、脳の病気で体が不自由なので2階の部屋まであがって世話してほしいとはとても頼めなかった。
一時は里子に出そうとまで思って、よく里親募集の掲示板を眺めてばかりいた。
でも手放したくなんてなかった。四年も一緒に過ごしてきて家族同然だったこの子達を。
いつか四羽が虹の橋を渡るまでちゃんと見守っていきたかった。
鳥に興味のない人からみたら、たかが鳥のことで・・・自分の命とどっちが大事なんだって思われる方が大半だとは思うけれど・・・。
結局弟に頼むしかなかった。
弟もあたしと同じで鳥好きなのだ。
勇気を出して頼んだら意外にもあっさり引き受けてくれた。その上明日病院に一緒に付き添ってくれることになった。涙が出るほど嬉しかった。
一通り餌のやり方や掃除の仕方を紙に書いて渡した。
いい年していつまでも意地張ってないで素直にならなきゃって思った・・・。
ピーたん達、あたしが退院するまでどうか元気でいてね。
そして弟よ、ピーたん達のことよろしくお願いします。



2004.6.19 入院
朝の内にピーたんたちのかご掃除と餌の交換をして、いつもより長めに放鳥をした。
今日から当分この子達とは会えない。と思うと胸がつぶれそうになった。
ピーたんたち、姉ちゃん頑張ってくるからね・・・。

昼過ぎに弟の車に乗って、病院に行った。
おとついのツベルクリン反応の注射をしたところを見せに1時に内科外来に来るように言われていたが、皆昼ご飯を食べにいったのか誰もいなかった。
N先生は不在なので、受付でその日の外来担当の方を呼んでもらった。
診察室に入ると眼鏡の温厚そうなDr.がいた。
Dr.は左腕の注射の跡をさしで測って「陽性は陽性だけど、このくらいなら誰でも腫れるからね。大丈夫ですよ。」と言ってくださった。
けっこう赤く腫れていたので心配だったが、結核ではなかったのでほっとする。
M先生というそのDr.は話し方もすごく穏やかで優しそうだった。
「あのー・・・この間入院するように言われたんですけど、心の準備ができてなくて拒否ってしまったんですよ。あれからよく考えたんですけど、やっぱり入院させてもらえませんか。」って言ってみた。
すると、M先生はパソコン(電子カルテ)をクリックしてレントゲン写真の画像を出して、「あー、胸水たまってるね。」と言いながらしばらく見てた。
「今日が無理でしたら月曜日でもいいです。」って言ったら、看護師さんに「内科の部屋空き部屋があるか確認してもらえますか。」と頼んでくださった。
看護師さんが電話で確認した後、指に酸素濃度測定器?をはさまれて体の酸素の濃度を測られた。確か95パーセントぐらいだったと思う。とりあえず問題なし。
そして、しばらくすると内科病棟の看護師さんが迎えに来てそのまま入院となった。
病棟の看護師さんと外来の看護師さんが話している。


「主治医は誰なんかな?」
「N先生なんですけど、今いらっしゃらないから一応M先生にしときました。」


N先生がいない間はM先生が代理で受け持ってくださるようだ。
引継ぎ後、病棟の看護師さんに、病棟へ連れて行かれる。
しかし、さっきの会話になんとなく不安を感じた。看護師さんに聞いてみる。


「あの〜、私ずっとN先生に診ていただいたんですけど、いきなり新しい先生になって・・・大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ^^カルテとかのデーターはちゃんとすべて引き継ぎされますからね。」


・・・いや、そうじゃなくて・・・。このまま主治医がM先生なのかって聞きたいんですけど・・・。
まぁいいや。月曜日にN先生が帰られたら、またN先生になるんだろう。その時はそう思ったのですが・・・。

私が入院するのは6人部屋の206号室に決まった。
ナースステーションで病歴やら家族構成やらいろいろ聞かれた後、206号室に入院。
あたしの寝る位置は真ん中のベッドになっていた。6人部屋のせいか、隣同士のベッドがくっつきそうなほど狭い。真ん中嫌いなあたしには辛い。
5人しか入院してなくて、入り口側のベッドが空いていたので、ナースステーションで入り口側にベッドの位置を変えて欲しいと言ったら快く承諾してもらえた。
パジャマとか何も用意してなかったので、外出許可をもらっていろいろ必要なものを買いにいった。
昨日からの腹痛は相変わらず続いていた。車に揺られていると熱も出てきたのか気分悪くなった。
いったん家に帰ってゼリーだけ食べて病棟に戻ったが、トイレでさっき食べたゼリーを全部吐いてしまった。
何だろう、このしんどさは・・・。

病室に戻ってパジャマに着替えるとすぐにM先生があいさつにきた。


「今日からぷーやんさんの担当になりますMです。困った事がありましたら何でも言ってくださいね。よろしくお願いします。」
「・・・?よろしくお願いします・・・。」


はぁ?今日から担当って???・・・もしかしてこのまま主治医はM先生なんだろうか。
M先生も優しそうだけれど、正直何でって感じでした。
N先生には1ヶ月診ていただいてるし、M先生よりは私の体のこととか分かりそうなのに・・・。
そりゃ入院するときはその時外来で診て下さった先生がそのまま主治医になること多いけれど、N先生は出張してるだけなのに。総合病院てこんなものかなって思ってしまった。
でも入院する以上わがままは言えない。仕方ないかなって思った。
その日の夜はやっぱり38・5℃熱が出ました。
不安な入院生活のはじまりでした。