2004.6.26 同室の人々
あたしのいた病室は大部屋だった。
内科なので慢性疾患の人が多いせいか、入れ替わったのは1人だけであたしが外科に転科をするまでほとんどメンバーは変わらなかった。
糖尿病の方が3人、気管支の病気の方が1人、血液疾患の方が1人、原因不明の病(笑)のあたしの計6人だった。
それぞれに病気をかかえているものの、自分の事は自分でできる症状の軽い元気な人ばかりだった。そのせいかおしゃべりがたえなかった。
よく言えばみんな仲良くて(あたし以外の5人が)和気あいあいとした部屋だったんだけど、正直あたし的には快適な部屋ではなかった。
朝は5時ごろから、夜は10時ぐらいまで大きな声で話するし、毎日熱が出てしんどかったあたしには辛かった。
他の5人がみんな60代〜80代の方で話が合わなかったのや、あたしが人見知りな性格なこともあって、入院して最初の4日間は全く話しなかった。

部屋の人と話するようになったのは(と言っても転科するまであまり会話しなかったけど)、肝生検の日に友人Mとその娘さんのSちゃんがきたのがきっかけだった。
Sちゃんは電車が大好きな子だった。
駅から近かったので、病室の窓から電車が走ってるのがしよっちゅう見えた。
電車が来るたび窓にかけよって見に行ってたSちゃんを病室の人たちがかわいがってくれた。
友人Mもきれいな花束をお見舞いに持ってきてくれた。
二人が帰った後、窓際の糖尿病のおばあちゃんが「キレイな花束やね^^」と話し掛けてきたのをきっかけにみんなが話し掛けてくれたのだった。

部屋の中の人たちで特にお世話になったのが、りんごさんとばななさんだった。
5日くらいで退院したけど、みかんさんというおばあちゃんもいた。

りんごさんは血液疾患の方だった。(でも主治医は消化器科の先生だったから、消化器系の病気もあったのかも)
あたしの向かい側のベッドに入院していた。
さばさばとしていて話上手に聞き上手。お見舞い客もしょちゅう来ていて人脈も広い方のようだった。
時々、窓際の気管支の病気のおばあちゃんに(足音のでかい人だった)「婦長さん」と呼ばれていたのが謎だった。
この謎は後に外科に行った時に判明するのだが。

ばななさんは糖尿病のおばあちゃんで、あたしの隣のベッドに入院していた。
何かとあたしのことを気にかけてくれて、自分もしんどいのにいつも頑張れって励ましてくれたおばあちゃんだった。

みかんさんは検査入院でりんごさんの隣で入院していた人だった。
高知弁の気さくなおばあちゃんで、気さくに誰にでも話し掛けていた。
人見知りであまり話さないあたしにも気軽に話し掛けてくれて、楽しかった。

個性的な人ばかりでうるさい部屋ではあったけど、一人一人はいい人たちだった。今となっては懐かしい思い出である。



2004.6.30 大腸ファイバー
今日は午後から大腸ファイバー(大腸に小さなカメラを入れて、中に異常がないかどうか調べる検査です。)がありました。
久々に朝から絶食だったけど、そういう時に限って朝食がパンの日だったりするんだよね。
先週の肝生検の時もパンだったし。あーあ。いつになったらパン食べれるんだろう。
同室の人たちはいつも通りの朝食で、あたしには2リットルの下剤入りの水が運ばれて来た。・゚・(ノД`*)・゚・。
看護師さんに検査前までに時間かけて飲むように言われたけど、2リットルってあんた・・・。
「あっ、今日はパンが3つもついとるで♪」等々同室の人たちが言っているのを尻目に、下剤入りの水を口にしてみた。

マズッ!!!

なんて言うか・・・塩水にプールの水混ぜたような変な味。思わずオエッって吐きそうになった。こんなん全部飲めるか〜!!
でも飲まなければ検査できない。吐きそうになりながらチビチビ飲んでいたら、りんごさんが自分の経験を語ってくださって「がんばって☆」って励ましてくれた。

何とか500mlくらい飲んだが、その時点で体が一口も受け付けなくなった。
ナースコール鳴らして「飲めないんです・・・」と言ったら、M先生が来てあたしの隣に座り、「辛いでしょうけど、頑張って飲みましょう。」って励ましてくださった。
ばななさんも「頑張って飲みなな。」って言ってくれた。
みんなが励ましてくれてるのに、どうしても飲めないまま刻々と時間が過ぎていった。
いっそ検査なんて中止になってしまえ!ってやけになってベッドに横になっていたら突然ものすごい便意が☆
「走れ、走れ〜!(あたしゃ汽車かい・・・)」のりんごさんの声を背に、あわててトイレにダッシュ。・・・しかし間にあわなかった・・・。(お食事中の皆様ゴメンナサイ。)
部屋へ戻って下着を変えて、汚れ防止に生理用ナプキンをした。と思ったらまたまた便意が。この下剤強力過ぎんか(汗)。
何回部屋とトイレの間をダッシュしたことやら。

朝早くから下剤飲んだのに、検査に行くよう言われたのは夕方4時を回っていた。
点滴をされて、中途半端な下痢でヘロヘロのまんま車椅子で検査に連れて行かれた。(ほんとうは下痢が透明にならないとだめらしい)
結局下剤は500mlしか飲めずじまい。
更衣室で尻に穴の開いたブルーの紙パンツをはかされた。
検査室に入ると壁に台のようなものがついたところに立たされた。するとウィ〜ンって音がして台が動いて、台と一緒に体が仰向けになった。

しばらくしてT先生がやってきた。検査はT先生がやってくださるようだ。でもあたしが下剤をあまり飲んでないので、隣の部屋で検査をするか中止するかしばらく話し合っていたみたい。
結局検査することになったらしい。
T先生に「あたし今も下痢してて出るかもしれないですよ。臭いかもですよ〜。」って言ったら、「大丈夫ですよ^^」と言いながら尻の穴にゼリー状の麻酔薬を塗った。
看護師さんが鎮静剤を打った直後、尻穴にカメラを突っ込まれた。


あたし「いや〜っ!!!痛い〜っっ!!!」
T先生「大丈夫、大丈夫ですよ〜。」



あまりにも激痛だったので泣き叫んでしまった。いい年した大人がなんとも情けない。
カメラが中に入ってからも、腹の中をまさぐられているような嫌〜な感じ。時々痛い。
その内麻酔が効いてきたのか痛みは感じなくなってきた。
検査は10分くらいで済んだけど、すんごく長く感じました。
人によっては大腸カメラは楽って人もいるけど(りんごさんは楽って言ってたし・・・)、あたしはダメ。もうこの検査2度とやりたくないと思いました。

紙パンツのまま車椅子で病室に戻ったら、またお腹が痛くなってトイレに行きたくなった。
あたしがぼ〜っとしてるので、看護師さんが「一緒について行きましょうか。」って言ってくれたけど、「ゆっくり行きます。」と言って一人でトイレに行った。
あれれ、何か足がフラフラする。
トイレに入ったらドアに頭ぶつけてしまった。
トイレを済ませてフラフラと部屋の手前まで行ったら、ばななさんが心配そうにドアの前に立っていて「ちょっとあんた、大丈夫なん??」って言った。
「大丈夫です。でもお腹痛い・・・。」って答えた直後、フッと足から力が抜けた。
その時、後ろから「大丈夫?」って聞き覚えのある男の人の声がして、あたしを抱き起こしてくれた。
「大丈夫です。」って答えたら「よしよし。大丈夫だからね。」って言ってた記憶が・・・。

そっから先はあんまり覚えてない。
はっと気がつくと、7時過ぎまでベッドで眠ってしまってた。
8時ごろ母たちが来た時、倒れた時のことを話したら、りんごさんが「N先生と違うかな。声似てたよ☆」って言った。
あたしをベッドに連れてきたのは看護師さんだったらしいけど、抱き起こしてくれたのはN先生らしい。
あたしも声が似てるって思ったけど・・・。
うそーん!!!あたし紙パンツのままだったのに〜(涙)恥ずかしー(☆o☆;)!!!!!!
でも、もしそうなら嬉しい。会ったらお礼言わなきゃ・・・。



2004.7.1 転院しよう
朝M先生が来て、「昨日は大変な日でしたね。」と言った。
ほんとに下剤は飲めないわ、検査で泣くわ、廊下でひっくり返るわ。ま、最後ちょっといい思いもしたけどね^^
でも、この先生優しいんだけど何か淡々としてるんだよね・・・。顔にあまり感情がでないというか。

大腸ファイバーをしてからはあれほどひどかった咳が今朝は少し落ち着いたように思う。下剤で少しは肺の水が抜けたんだろうか。
どうか、昨日の検査の結果が悪いものではありませんように、と心の中で祈った。医科大なんて行きたくないって思う。

そして3時過ぎ、再びM先生が来た。


「検査の結果ですけど、大腸はきれいだったみたいです。やっぱり内臓はどこも異常なかったですよ。アレルギーか何かの肺炎だと思います。」
「ほんとですかっ☆(嘘つかないで・・・。って思いつつ。)」
「こちらでの検査はすべて終わったんですけど、一応念のために7月12日にK大学の病院のほうへ行って肺の検査受けましょう。今は熱のほうも落ち着いていることですし、それまでは一時退院してくださってもいいですよ^^」


・・・。やっぱ医科大行きですか。そこまで検査に行かなければならないほどの原因不明の肺炎ってあるんだろうか。

M先生が行った後、会話を聞いていたばななさんが「あんた、どうもなくてよかったな〜(^▽^)」って言った。
「ほんとに・・・嬉しいです〜!!よかったぁ〜、よかったぁ〜☆」って二人で手を取り合って喜んだ。
りんごさんや他の同室の人たちもみんな「よかったね☆」って言ってくれた。
同室の人たちに申しわけないので、表面上は喜んでるふりをしたけれど・・・。
M先生の言葉を信じる事はできなかった。

その夜母と弟が面会に来た。
しかし二人ともいつになく深刻そうな顔をしていた。いつものように1階の待合室に降りた。
医科大に検査に行かなければならない事を話したら「いつまで検査に時間かかってるんや!こんだけ検査しても分からんなんておかしいわ。」って怒ったように母が言った。
そしてしばらくして「(母の勤める病院へ)転院しよう。」って言った。
2週間近くも検査して未だに結果がでないこと、その上また医科大で検査をするということに二人ともイライラしてるみたいだった。
ちょうどその頃父も祖父もそれぞれ別の病院に入院していた。
毎日仕事しながらあちこちの病院へ行く生活に母も弟も疲れきってしまってたのだ。家族の気持ちも痛いくらいわかったから辛かった。
でも、母の勤めている病院へ行けばまた1から検査のやり直しになるだろう。
あたし自身も検査漬けの毎日に疲れきってしまっていた。もう検査ばかりするのは嫌だって思った。今の検査のこととかはあたしも不満はあるけれど、なぜかこの病院を離れたいとは思えなくて。
「嫌だ、転院したくない。ここの病院で治療続けたい!!」って泣いてしまった。
「・・・あんたの気持ちは分かる。でも、あたしらももう限界なんや。よく考えてちょうだい。」
気まずい雰囲気のまま、消灯前に家族は帰った。
頭の中はグチャグチャだった。

ここまで話がややこしくなったのも元はといえば、急に主治医の先生が変わってしまったことが原因。
1ヶ月近く別の先生に診てもらってたのに、その先生がたまたま出張ってだけでなんの説明もなく他の先生に変わって。
あたし自身それに納得行かなくて、M先生のことは正直どうしても代理の先生としか思えなかった。
肝心のあたしにはいつも「大丈夫ですよ。異常ないですよ。」ってほんとうのこと何も言ってくれなかった。
胃カメラの時以来以来M先生に不満を持ってしまったあたしは、心の中で自らM先生に対して壁を作ってしまっていた。
そのことを母たちにも愚痴っていたから、母たちも病院に対して不信感を持ってしまったところがあると思う。

やっぱりN先生と話してみようって思った。
今後どうするかにしても、N先生とは一度ちゃんとお話したいって前から思っていた。今しか時間がないって思った。
おとついの大腸ファイバーの時のお礼もまだ言えてない。
今は主治医じゃないから、もしかしたら断られるかもって思った。
消灯してから知り合いに電話して相談に乗ってもらったらやっぱりちゃんとN先生と話したほうがいいって言われた。、
その言葉に勇気付けられたあたしはナースステーションにN先生との面談を申し入れた。



2004.7.2 主治医交代
夜はやっぱりいろいろ考えて寝付けなくて、朝の四時過ぎに屋上へあがって景色を見ながらいろいろ考え事をしていた。
朝、検温に来た看護師さんが「N先生、11時から12時までなら時間開いてるからお話しましょうって言ってましたよ。」って言った。
どうも昨日の夜すぐにN先生に話してくださったようだった。(廊下で声がしてたから)
元・受け持ち患者ってだけなのに快く面談を受け入れてくださったのにはびっくりしたけど嬉しかった。

8時ごろM先生が来た。
気を悪くしているかなって思ったけど、「N先生に肺炎のこととかいろいろ聞いてみてくださいね。」って優しく言ってくれた。
「先生すみません・・・。」って言ったらにっこり微笑んでくださった。

予定の11時ごろ急な検査が入ったみたいで、実際にN先生とお話したのは昼1時を過ぎていた。
病室にあたしを迎えに来たN先生は意外にもにこにこしていた。
面談室に行ったら、「話って何?」って気さくに聞いてきた。


あたし「あの・・・言っていいですか?」
N先生「うん、いいよ^^」
あたし「・・・先生、何で主治医変わっちゃったんですか?」


ついに口に出してしまった〜!怒られるかな、って思ったけどN先生の反応は意外にも優しかった。
「ほんとは僕が受け持つんだったけどね。あの頃出張とかプライベートでいなくてね。でも今はぷーやんさんの症状は確定してないから別にどの先生が受け持ってもよかったんだよ。」
ちょっと言い訳くさいなと思いつつも(笑)、理由を聞いて気が抜けてしまった。なんじゃそりゃ〜!
こっちはN先生に見捨てられたんかと思って落ち込んでたんだぞ〜^^;


「ぷーやんさんのことは時々廊下で見かけてた。でも日に日に元気がなくなってたようだから僕も気にはなってた。」
「あたしはN先生のほうがずっとよかったんです。先生のほうが相談とかしやすいし。・・・でもこんなことずっと言えなかった。M先生傷つけるって思ったし、あたしのわがままでしかないし。」
「そっか・・・ぷーやんさんの気持ちは分かった。M先生と話し合ってみるね。」


別にまた受け持って欲しいとかそういうつもりはなかったんだけど、言いたい事言えて、一気に心が軽くなった。
そして、大腸ファイバーの時のお礼も言った。やっぱりN先生だったことが分かって嬉しくなった♪
今までしてきた検査のことや、医科大に検査に行く事、昨日家族が言った事、今の家庭状況などいっぱい聞いてもらった。
N先生は、今のあたしの状態は決して健康体ではないという事、肺の水もそうだけど肝生検の時やはり肝臓に異常があったことを正直に話してくださった。
1時間近く相談に乗ってくれたんじゃないかな。それでも最後まで嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
「またいつでも相談に乗るね。」とまで言ってくれた。
N先生は今日は昼から出張らしかった。なのに・・・ありがとうございました☆
言いたかった事を全部話せて心がすっきりして病室に戻った。

その後1時間ほどして看護師さんが昼の検温にやって来た。
「ぷーやんさんがあさって外泊から帰ってきたら主治医がN先生に代わりますからね。」とにこにこして言った。
うそ〜っ!って感じだった。
出張だって言ってたのにすぐにM先生と話し合ってくれたようだ。
N先生、ほんとにいいの?って思った。嬉しいよ〜!!
でも・・・M先生、ごめんなさい。ってM先生にはほんとうに申しわけなく思った。先生のことだって人柄は大好きだった。
先生なりに一生懸命診てくださってたとは思う。
ほんとうのことを言わないのは、多分あたしの病気が悪いものだからあたしを傷つけたくないっていう先生の配慮だったんだろう。
でもあたしは自分の体だからこそ本当のことを知りたいって思うから、N先生にほんとうのことを聞けて嬉しかった。
N先生、M先生、今日はほんとうにありがとうございました・・・。



2004.7.5 38℃
7月3日、4日と外泊して4日の夜8時過ぎに帰院したら、熱が38.3℃あった。
8時半ごろひどく咳が出てしばらく咳き込んでいた。
主治医がN先生に戻ったこの日から連日熱が38℃を越すようになった。
朝は36℃台でも夕方になると決まったように熱が上がった。
M先生のころは37℃台の日も時々あったんだけど、何だろう、この熱は。

今朝は朝から誰も来なかった。午前中にレントゲンに行くように指示されただけでそのまま晩までゆっくり時間が過ぎていった。
昨日からN先生に代わったはずなんだけどな〜。と不安になって昼の検温に来た看護師さんに聞いたら、
「そうですよ、N先生に代わりましたよ。」と言った。


「今日は朝から先生来ないんで心配になってました。そっか、よかった〜(^▽^)」
「N先生は・・・(M先生に比べたら)あんまり来ないかな。あの先生ね、夜が多いんだよ^^」


ほほう、N先生って夜行性なのね(笑)。あたしと同じだ、ってちょっと嬉しくなった。そーいや消灯近くとか夜よく廊下で声がしてたっけ☆

夜8時半頃ようやくN先生が来た。
「今日から主治医代わったよ☆」と言ってあたしのベッドの脇に座った。


「この間のこと(面談した時)家族の方なんか言ってた?」
「・・・ううん、特には何も言ってなかったですよ。」


家族が何も言わなかったわけじゃないけど、先生の顔見たらドキドキして嬉しくて言葉が出ないよ〜(*^。^*)♪
もう今あたし子犬になってます(笑)。心の中でキャンキャンはしゃいじゃってる。
N先生にはこんなこと言えないけどさ^^

転院のことは外泊の時にもちろん話し合った。せっかくN先生に代わったからN先生を信じてお任せしたいって言ったら、結局あたしの意志に任せるって家族が言ってくれた。
N先生は面談の時、「セカンドオピニオンは僕は反対しないよ。いろんな先生の意見を聞くことはいいことだから。」って言ってたけど、ほんと転院にならなくてよかった・・・。
いい病院はたくさんあるし、いい先生はたくさんいるけれど、ほんとうに大事なのは医師と患者の信頼関係じゃないかなと思う。

「12日に医科大へ検査行きますよね。検査終わったらどうするんですか?」と聞いたら 「あ、検査終わったらもちろん病院へ帰ってきてもらうよ。結果はこっちでお話するからね。」と言われて少し安心した。
そのまま入院かなって思ってたから。

お話した後、N先生は「ちょっと診させてもらうね。」とあたしのお腹を触診した。
めちゃくすぐったかった。
「胸水はまだあるんですか。」と聞いたらやっぱりあるって言われた。
熱は38℃あった。でも、先生が来たら何か安心して、あんまりしんどくなかった。

症状が確定したら、また主治医が代わるかもしれない。
もし医科大転院になったら先生とは会えなくなるだろう。
だからこそ、今のうちにしっかり甘えちゃおうって思った(*^。^*)♪
先生、わがまま患者ですけど、今日からよろしくお願いしますっ☆



2004.7.7 パンが食べたい・・・
今日は七夕の日だった。
昨日の夜、N先生は「明日胸のCT撮って、お腹のほうも検査させてもらうね〜。」って言ってた。もちろん今日は朝から絶食だった。
またまたまたパンの日だった。とうとう3週連続食いっぱぐれ。はぁ〜。

この病院は毎週水曜日と日曜日の朝食がパンなんだけど、土日はいつも外泊しているので、日曜日は食べれないんだよね。
病気になってからはすっかりパン党になってしまった。
前は断然ご飯派だったんだけど、この病院のご飯はっきり言っておいしくないんだよね。(病院食ってどこもまずいけどね)
何か硬いし、ボソボソしてて臭かったから多分いい米は使ってないんだろう。
だけど、パンはおいしかった。いつも暖めてあったので、焼きたてパンみたいな感じで食べやすかった。
あーん、パン食べたいよ〜!!(あとで母にクロワッサン買ってきてもらおう・・・^^;)
朝10時ごろN先生が来た時、検査行ったか聞かれたので、行ってないって言ったら「あれ?検査まだ行ってないん?」って言ってた。

看護師さんが呼びに来たのは11時を回っていた。(りんごさんが「廊下で、看護師さんたちが『ぷーやんさんの検査忘れてた〜!』って言ってたよ。」って言ったから忘れてたんでしょう^^;ったく、忘れるなよ〜!(笑)。)
検査室に入ると検査技師の人が「今から胸と骨盤のCT撮りますからね。」って言った。
は?骨盤って・・・聞いてないよ〜。腹の検査するって言ってたのはこのことなんかいな。
もしかしたら卵巣なんかな。
検査が終わって帰りのエレベーターの中で一緒について来てくれた看護師さんに「骨盤の検査って卵巣ですか?」って聞いてみた。
するとその看護師さんは「そう、卵巣です。卵巣腫瘍の疑いがあって・・・。」と言った。
ずいぶんストレートな看護師さんだな、おい。(N先生ですら、まだ「腫瘍」って言葉口に出さないのに^^;)そらうやむやに言われるよりはいいけれど。
この間の外泊の時に「卵巣 胸水」でネットで検索したら卵巣がんのホームページがずらずら出てきた。
いろいろ調べていたから「卵巣腫瘍の検査」って言われてもそんなにびっくりはしなかったけど、やっぱそうか、って思った。

その日の昼食は七夕そうめんだった。
あたしは柔らかめが好きだからまぁまぁおいしいと思ったけど、部屋のオババ5人衆が「今日のそうめんおいしくなかったな。」「ほんまになー。あんなまずいんはじめてや。」と口々に悪口言ってた(笑)。
そしていつしか話題は糖尿の先生の悪口大会に変わった。
「あの先生、全然診に来てくれんな。」
「なんぼ患者が多いゆーてもなー。来てくれんかったら相談もできんな。」
「私入院してからはいっぺんもあの先生に会ったことないわー。」等々糖尿病の3人を中心に話が盛り上がっている。
その先生はこの病院では一番有名な糖尿病専門の先生だ。
糖尿病の先生はその人だけなので、受け持ち患者も他の先生に比べて圧倒的に多かった。
そのせいか入院患者のところにはめったに顔を出さず、治療は看護師さんまかせのようなところがあった。
「りんごさんもぷーやんさんも気管支の病気の人も、3人はええなぁ。毎日先生が来てくれて。」って窓際の糖尿病のおばあちゃんが言った。
確かにね、とあたしも思った。N先生だって受け持ち患者さんの多い人だけど、毎日必ず1回は様子見に来てくれる。
いくら有名な糖尿病の先生でも、いくら患者さんが多いっていっても、やっぱり実際に患者さんに接しないと患者さんの容態とか分からないと思うんだけどなぁ。

2時からばななさんと大正琴の演奏を見に行った。さそってくれたばななさんには申しわけないが、たいしておもしろくはなかった。
演奏が終わって帰っていると寒気がしたので、熱を測ったら38.4℃。今日も出たか、って感じだった。
今日はN先生は珍しく(笑)朝来てくれたので、夜は来ないだろう。
母たちも今日は夜勤で来れないってメールをよこしてきたので、夕食後、看護師さんにアイスノンと解熱剤をもらってそのまま消灯まで眠ってしまいました。