2004.7.12 医科大受診
今日は地元の医大病院のほうへ行って検査を受けてきました。
検査がすべて終わるまでは、水は飲んでもいいけどそれ以外はすべて絶食とのことだった。(特に甘いものは厳禁だそうだ。)

朝9時半ごろ母と弟が迎えにきて、紹介状とX線やCTの写真が入った大きな封筒を持って出発した。
私の住んでいる市からはかなり遠いところにある病院なのですが、高速道路から行ったらインターを出てすぐのところにあった。所要時間20分くらいじゃなかったんかな。
普通道路通ったら1時間はかかりそうなのに、高速ってほんと便利やなって思った。
医科大病院はさすがに広くて大きかった。あたしの入院している病院とはまるで規模が違った。
駐車場はどこに車置いてたのか忘れるくらい広くて、病院に入るまでの道も迷子になりそうだった。
受付に行ってさらにびっくり。免許センター並に人がずら〜っと並んでいた。電光掲示板まである☆(田舎もんまるだしやな、あたし)

病院でやった検査はPET検査っていう医科大でしかできない検査と、下腹部のMRIの検査でした。
PET検査もMRIもCTと同じで、ベットに横たわってマンホールみたいな機械に入って写真をとるだけなんだけど・・・まさかあんなに長くかかるとは思ってなかったよ。
お腹すいて目回ったよ〜!!

最初にPET検査をした。昼1時からだったので、3時間近く待った。その間、売店(ここも広い、広い!コンビニ並だったよ)で水を買って飲みながら時間をつぶした。
12時40分ごろ、核医学検査室とかいう何やらすごそうな名前のところに入った。看護婦さんに身長と体重を測られて採血をされた後、造影剤を注射された。
そのまま、患者用のソファーで1時間ほど待機させられた。造影剤が全身にまわるまでそれぐらいかかるそうだ。
検査5分前にトイレに行くように指示をされた。そしてトイレに行った後すぐ検査。
2段の階段をあがってベットに仰向けに横たわった。このベットがかなり幅がせまかった。
少しでも寝返りを打ったら落ちそうだ。
検査技師さんにひざの下に枕を入れられて、ひざを立てらされた状態で両手は太ももの上に置くように指示された。
そしてマジックテープつきのひもで体を固定されて、機械の中に入った。
機械の中は音もなく静かだった。時々ベッドが少しづつ動くだけだった。
検査技師さんは寝てていいですよ、って言ったけど、眠れなかった。
太ももの上に置いた両手がしびれるんですよ(涙)。この姿勢はけっこうキツイっす。
検査は30分ほどで終わった。両手がビリビリして痛かった。

次にMRIの検査。これも30分待ちだった。待ち時間のほうが検査時間より長いんではないだろうか。
PET検査が終わってからずぅーっと腹が鳴りっぱなし。早く何か食べたいよ〜!マジ腹へって死にそうだ。
受付で渡された検査票を見ると『女性生殖器』と書かれてあった。やっぱ卵巣か、と思った。
3時半からの予定だったけど、15分遅れの3時45分から検査開始だった。
検査用の浴衣に着替えさせられて更衣室で少し待機させられた。
しばらくすると係の人が呼びに来て、ウルトラクイズ(懐かしい〜!また復活してほしいな、あれ。)に出てきそうなゲートを通るように指示される。
ゲートを通って(ピンポーン♪とか鳴ったらおもしろいのに)、検査室へ。
ベットに仰向けに横たわると耳栓をされた。中は音がうるさいらしい。
そしてマジックテープ付きのひもで体を固定されて機械の中に入った。
機械の中は耳栓しててもウィ〜ンガチャガチャと無機質な音が響いて確かにうるさかった。しかしそんなことより頭の中は食べ物のことでいっぱい。
ああ、カレー食べたい☆アイス食べたい☆ってそればっかり(笑)
途中いったん機械から出て、造影剤を注射されて、再び検査した。

終わったのはなんと5時過ぎだった。1時間以上機械の中に入ってたことになる。
あまりにも長かったので、母たちは何か事故でもあったんじゃないかとハラハラして待っていたらしい。
検査の結果は明日出るそうで、また弟が結果の入った封筒を取りにいくことになった。
すぐに自動販売機でハーゲンダッツのチョコバーを買った。それのうまかったこと☆やっと食えたよ^^
帰りにおいしいカレー屋さんに寄った。そこのカレーもミックスジュースもおいしかったです。
そしていったん家へ帰ってお風呂に入って、久しぶりにピータンたちに会った。

病院へ戻ったのは、夜9時過ぎ。消灯時間を過ぎていた。
エレベーターから降りたら、なんとN先生が待っててくれた☆
ついさっきまでT先生も待っていたそうだ。
結果が明日出ることを報告したら「明日ぁ〜???」って気抜けてたみたいだったけど、「今日は疲れたやろ。ゆっくりお休み^^」って言ってくれた。先生の顔見たらほっとしたよ〜。
待っててくれてありがとう。先生もお疲れ様です!



2004.7.13 告知
昨日の検査の結果が気になって消灯後もなかなか眠れなかったので夜10時過ぎ、1階の待合室のソファーで新聞を読んでいました。
すると内科外来の方からT先生とか何人かのDr.たちが歩いてくるのが見えたのであわてて新聞で顔を隠しました。
T先生たちをやり過ごして少しほっとしていると突然後ろから肩をぽんぽんと叩かれました。
振り向くとN先生がいました。
「どうしたん?」といつもの調子で気さくに話しかけてくれたので、「うん・・・ちょっと眠れないんです・・・。先生今日は遅いんですね。泊まりですか?」って答えた。
先生は「ううん、今ねぷーやんさんの検査結果のことでみんなで話し合いしてたんや。」と言った後、一息おいて「検査の結果、説明しよっか?」と言った。
緊張してドキドキしたけど「はい。」と即答した。
T先生たちとこんな遅くまで話し合ってたんだな、お医者さんて大変な仕事だって思った。

そして病棟の面談室の方でN先生とT先生とあたしとで検査の結果とこれからのことについて話し合いしました。
実際はN先生とあたしと2人で話し合ってT先生は先生の後ろで背後霊のように座ってましたけど^^;
ホワイトボード(ほんとは何て言うんだろ?これ。電気がつくやつ。)に医科大で撮った写真を2枚並べて今のあたしの状態をはっきり言ってくれました。
写真には右胸のところに2つ黒い影が写っていた。
肝臓の上にある腹膜という部分と胸膜(肺の下の水がたまってる部分)に腫瘍があるのはこちらの病院の検査ですでに分かってたそうです。
そしてそれがどこから来ているものなのかを医科大で調べた結果、はっきりとは分からないけど卵巣からの可能性が高いとのことでした。

悪性なのかな、って思った。
決して軽い病気ではないだろうってことは肝生検の時からうすうす気づいていた。
外泊の時にもいろいろパソコンで調べていたし、腹はくくってたつもりだった。
それでも心の中では「嘘やろ!先生、冗談だって言って・・・」って事実を否定したい自分がいた。
冷静を装っていたつもりだったけど、手や唇が震えた。でも涙は出なかった。


あたし「先生、あたし死ぬんですか?」
N先生「今すぐどうこうって状態ではないよ。でもこのまま放っておくと・・・いつかは・・・ね。」


テレビとかドラマでよく見るいわゆる『告知』。(まだ癌って確定したわけではないけれど)
たとえ結果が悪くても嘘はつかないで欲しい、と思ってたから自分の大好きな先生に本当のことを聞けたのは正直うれしくもあった。でもあまりにも辛い事実だった。医科大転院になるんだろうか。
「医科大転院はせずにこちらで治療させてください。」と頼みました。
N先生には前に面談した時家庭の事情も話してあったので、それに関して外科や婦人科の先生と話し合ってくれるとのことでした。
明日またあたしの家族をまじえて先生と話し合いすることになりました。

面談室を出てからすぐに母に電話しました。
既に11時過ぎてました。母は夜勤に行く前だったにも関わらず、電話に出てくれました。
できるだけ平静を装ってるつもりだったけど、受話器を持つ手が震えてしまった。


あたし「今先生から昨日の結果聞いたとこ。明日医科大へ行った時の検査の説明があるから晩の7時過ぎに来て・・・。」
母「うん、分かった。結果どうやった?」
あたし「ごめん、今は言えんわ・・・。明日N先生から聞いてくれる?」


母もいつもと違うあたしの様子に「どしたん?何の病気やったん?」と何度も聞いてきたけど、どうしても言えなかった。
「夜勤頑張ってね。事故らんようにね。」と言って電話を切った。
その日の夜は結局あまり眠れませんでした。



2004.7.14 先生ありがとう。
朝になるとちょっとだけ気分が落ち着いていました。
朝早くに検温に来た看護婦さんも昨日のことを聞いてきたし、婦長さんも来ました。
そして8時ごろN先生も様子を見に来てくれました。
多分落ち込んでいると心配してくれたんだろうって思った。
「先生、昨日はありがとうございました。」って言ったらにっこりしてくれた。
先生の笑顔って何か安心する。
だけど、実際は落ち着いてたわけではなかったのだ。

夕方熱が38・5℃まで上がったので、熱さましをもらおうとナースコールを押したが、誰も来なかった。
いつもは忙しいのかなぐらいでイライラしないのに、何かイライラしてもう一度ナースコール。
「早く持ってきてくださいよ!」って声を荒げてしまった。
すぐに看護師さんが薬を持ってきてくれたのですが、この看護師さん何かムッツリして面倒くさそうに薬を手渡してきたのでますますイライラ度アップ。
その人が帰った後、別の看護師さんが「ぷーやんさん、誰か薬もって来た?」と聞いてきてくれたのにとうとうその人に怒鳴ってしまった。
「何で早く持ってきてくれないんですか!毎日熱出て咳出て苦しんでいるのに何にも分かってくれない!!」って。
看護師さんにあたっても仕方ないのに・・・。あの時の看護師さん、ごめんなさい。

その後、7時前に母と弟が来た時泣いてしまいました。
「あたし・・・癌かもしれない!死ぬかもしれない!!」って。こらえていた心の糸がついに切れてしまった。
「とにかく一緒に話を聞きに行こう。」って二人に支えられて面談室へ向かった。
ナースステーションに家族が来た事をつげるとしばらくしてN先生が来た。
N先生もあたしの変化にすぐ気がついたみたいで「無理して聞かなくてもいいよ。」って言ってくださった。
「大丈夫です。一緒に聞きます。」って答えて面談室に入った。

そしてN先生と家族とあたしとで昨日の結果と今後の事を話し合いました。
「先生さっき看護婦さんにあたってしまったんです・・・。」って言ったら、先生は「ああ、それはいくらでもあたってくれていいよ。僕らそれで給料もらってるから^^」ってにっこりして言ってくれた。
先生のこの言葉にすごくほっとしてまた涙出そうになった。その後は落ち着いて話を聞けた。
内科部長さん、外科部長さん(後に出てくるO先生)、産婦人科の先生の3人の先生方があたしのことで話し合いした結果、治療はこちらの病院で継続することになったそうです。
来週早々にも外科に転科して手術をして腫瘍が良性か悪性か検査した後、薬の治療でやっていくとのことでした。よかった・・・転院せずにすんで・・・。

・・・13日の夜のことと今日の事はずっと忘れないと思う。
主治医がN先生じゃなかったら多分あたしは医科大転院になっていたと思うし、入院待ちで治療がもう少し先にのびていたんじゃないかな。
もちろん外科や婦人科の先生が協力して治療にあたってくださるおかげでもあるのですが、N先生に出会えてよかったって思う。
主治医外れてた時も心配してくれてたし。肝生険に立ち会ってくれた時や、大腸ファイバー後倒れた時先生の声聞いてどんなにほっとしたか・・・今ではそのくらいあたしには影響の大きい医師になってる。
N先生、ほんとうのこと言ってくれてありがとう。

これから長い治療がはじまります。でも頑張ります。
ピータンたちのためにも、またここで皆様とお話できるようになる為にも絶対病気に負けたくない。
あたしが80過ぎのばあさんならあきらめもつくけど、まだ20代。やりたいこともいっぱいある。結婚や子供を生むのは難しいかもだけど他に生き方もあると思う。
ピーたん達、姉ちゃん必ず帰ってくるから。また一緒に遊ぼうね。



2004.7.16 外科へ転科
昨日、N先生は朝晩2回来てくれた。
朝来た時、「腫瘍って、悪性なんですよね。良性だったら転移するわけないですよね。」って聞いてみた。
「今は分からないとしか言えないね。でも悪性と良性の中間型の腫瘍って可能性も考えられるね。」って静かに言った。
会話が会話なだけに、あたしや同室の他の患者さんに気をつかっているようだった。
その晩38.8℃熱が出た。
しんどくて夕食が食べられなかったので、解熱剤をもらって飲んでずっと横になっていました。
夜8時過ぎだったのかな・・・。熱が下がりかけてたのと、部屋が涼しかったのとで意識は半分夢の中。
ふっと人の気配を感じて目を開けたら、N先生がいた。
「あ、寝てたんだね・・・。ごめんね。」と朝と同様口調がすっごく静かだった。
「遅くなってごめんね、今まで話合いしてて。外科のO先生って人にぷーやんさんのこと頼んだから、明日お母さんに、晩の7時ごろO先生とご家族の方でお話してくれるよう伝えてくれるかな。」って言った。
そっか・・・今まで外科の先生と話し合ってくれてたんだ・・・。
「先生、あさって外泊していいですか。」って聞いたら「うん、いいよ。」って言ってくれた。
いつも大きな声でちゃきちゃき話する先生なのに、今日はいつもより優しく感じた。
先生が帰った後、目からすーっと涙出た。しんどい時にそんな優しい口調で言われるとほっとして涙が出る。こう思うのはきっと熱のせいだろう。
「遅くなってごめんね。」って全然そんなことないよ。
先生が来てくれたらいつも安心する。
忙しいのに2回も来てくれてありがとう、先生^^

そして今日、朝6時半ごろ目が覚めて1階に下りて外科前の待合室でジュース買って飲んでいた。
その時、ソファーに座っていたおじいちゃんと朝食前までいろいろお話した。
そのおじいちゃんは心臓病だそうだ。今日は2週間に1度の通院日で、朝早くから自転車こいで病院に来たのだ、と言っていた。
「わし、心臓悪そうに見えるか?}って聞いてきたので「ううん、すっごく元気そうに見えますよ☆」って言ったら、「そうやろ、見えんやろ。」って言ってた。
ここは一見元気そうに見えても体の中に爆弾をかかえた人ばかりいる。
「あんた、小さい子供さんおるんな。」と聞かれた時は嬉しかった^^
たいていの人には「大学生くらいにしか見えない。」「子供っぽい。」って言われるから年相応に見られたのは嬉しい。
7時過ぎた頃、しんどくなったみたいで「ちょっと横にならしてな。」とおじいちゃんはソファーに横になった。
無理はしないでね、おじいちゃん。何かおじいちゃんと話したらちょっと元気出たよ、ありがとう(^▽^)

そして朝10時ごろまったりと日記書いていたら、外科の先生が来ました。
見た目あたしとあまり年が変わらない感じの女の先生だった。
「ぷーやんさん、はじめまして。私は外科のHといいます。」とあいさつした後、今日の昼から外科病棟に転科になることを言った。
うわー☆って思った。とうとうこの日が来たか。
転科、外泊から帰ってからだと思ってたんだけどな。
H先生が帰った後、すぐに荷物をまとめた。
りんごさんが「袋ある?」って聞いてくれて、紙袋を2つくださった。
ばななさんも「手伝おうか。」って言ってくれた。
外科へ行ったら術後の抜糸まで個室に入ることになった。
このうるさい大部屋からはようやく開放される。でもみんな一人一人はいい人たちばかりだった。
りんごさん、ばななさん、その他の同室の皆さん、お世話になりました。

荷物をまとめ終わった後、N先生が来た。


「今日から外科へ行くんやね。頑張ってね。」
「先生、いっぱいお世話になりました。ありがとうございました。」
「外科へ移っても、また病室のほうに行くね。」


え、また来てくれるの?って嬉しかった。
そういや14日に「ぷーやんさんは人見知りしますよね。僕、外科のほうにも行きますから。」って母に言ってたっけ。
先生はどうやらあたしの人見知りを心配してくれてるようだ。
来てくれるとはいっても、主治医は新しい先生に代わるし、今までみたいに毎日というわけにはいかないだろう。
まぁ、同じ病院だし、廊下でばったりってこともあると思う。
先生とはこれでお別れってわけではないし。頑張ってきますっ☆

昼2時ごろ同室の人たちの「頑張れ〜!」という声を背に外科病棟に向かった。
個室の112号室に入院した。
荷物を整理していると外科の婦長さんと一人の看護婦さんがやって来た。


「ぷーやんさん、婦長の○○と担当看護婦のFです。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」


外科は担当ナース制のようだ。
内科にも一応担当の看護師さんがいるにはいたが、あいさつには来なかったし、顔すら知らなかったもんね^^;
Fさんという担当の看護師さんは、しっかりもので優しそうな感じがした。
Fさんに病棟内の施設を案内された後、呼吸測定の検査をしに行った。
検査ではかなり咳こんでしまった。検査技師さんが何度も検査をやりなおしたが、咳き込んでうまく行かなかった。

病室へ帰ると、Fさんが呼吸の練習をする器具を持ってきた。
手術後に深呼吸ができるよう、練習をするためらしい。
術後に深呼吸ができないと肺炎を起こしやすくなるそうだ。
器具についているパイプを口に入れて、息を吸うと中のピンポン球のようなものがピューっとあがる仕組みになっていた。
一日四回練習するように指示をされる。
ふとベッドについている名札を見ると4人の先生の名前が書かれてあった。
「あれ、あたしには4人も先生がつくんですか?」と聞いたら、「外科はね、どの患者さんも4人の先生全員で診る事になってるんだよ。」と教えてくれた。
ということは、4人とも主治医みたいな感じなのね。

そして夜7時過ぎ、家族が来て面談室のほうで新しい主治医のO先生と副主治医のOT先生から手術の説明を受けた。
ちょうどその時あたしは熱が38℃あって咳をしていたので、途中で病室に戻るようO先生から言われた。
「手術前だから風邪とかひかないように。」と注意されました。
その後の説明は家族が聞きました。

あたしの手術は開腹して組織を取るだけのものなので、30分くらいで終わるとのことでした。
手術は全身麻酔で、外科の先生4人と産婦人科の先生の5人が立ち会うそうです。
卵巣はどうしてもお腹を開けてみないと分からないとのことでした。

部屋で家族からいろいろ聞いていたら、「はじめまして^^」とK先生があいさつをしに来ました。
その後OT先生も来て、「咳がひどいみたいだから、手術の前の日に胸水を抜くように伝えておこうか?(誰に?)」と言いました。

家族が帰ってようやくバタバタした1日が終わりました。
手術前の準備の関係で、外泊は土曜日1日だけになりました。ちょっとがっかりだけど、手術したらしばらく外泊できないので楽しんで来よう、と思った。
いよいよ、治療が始まります。ドキドキするけど頑張るぞ☆



2004.7.17 4人の主治医
これからお世話になる外科の4人の先生方の紹介です。

まず主治医のO先生。外科部長さんです。主治医とは言っても実際は手術の時の執刀医というだけって感じで、ベットに来ても用件だけ話すとさっさと行ってしまっていた。
その他の処置とかメンタル面とかのケアは、内科のN先生やOT先生ら他の外科の先生の役目だったように思う。
(後に母から、陰ではあたしのためにすごく尽くしてくださってたことを聞かされて感激したんですが)
O先生の第一印象は…ここだけの話っすけど、(ガラの悪そうなおっさんだな…)でした(^-^;
何か白いスーツ着せて、サングラスかけさせたらそっち系の人みたいな・・・。
昨日の初顔合わせの時、いきなり睨むような目で見られてかなり緊張しました。目つき怖いんですよ^^;
あれには心の中で100歩くらい引いてしまいました(笑)。外科医特有の目つきって言うのかな。
しかし腕は県下トップのすごい先生らしいです。それに咳こんでるあたしのことを心配してくれたし、話してみたら性格は悪い人ではなさそうだ。
人を見た目で判断してはいけないよね・・・(^-^;ん〜でもやっぱ外見だけは怖いわ(爆)。

次に副主治医のOT先生。入院2日目にお腹が痛い時、診に来てくれた先生だ。よく気が付いて優しい先生です。
偶然だけど、あたしと同じ’75年生まれ。整った外見をしているので、看護婦さんや実習生さんたちにモテモテだそうです。(ご結婚されてますが)
よく廊下をブルーの手術着のまま歩いていたので、その姿がきっと若い女の人の心をくすぐるのかな^^(ちなみにあたしはN先生LOVEなのでキョーミなし。)

そして昨日内科の病室に来たH先生。あたしより1こ下の女の子(・・・って年でもないか^^;)外科医です。
しゃべり方がのんびりしてて、見た目もノーメークでも十分かわいい先生です。(あたしと同じく童顔^^)
でも若い女の人で外科医やってるくらいなので、あたしなんかよりずっとしっかりしてる。何かあたしのほうが年下みたいだ^^;
普通の女の人なら毎日血や内臓見るのは耐えれないだろうしね。

最後にK先生。外科医長さんです。見た目ぽっちゃりの優しそうなめがねで性格も和み系のほのぼのした先生だ。実はモロあたしのタイプなんだよな・・・この先生(*^。^*)♪
いつもあたしや他の患者さんの心を和ませていた。多分誰にでも好かれるタイプっていうか、患者さんの心を和ませるのがほんとうまいと思う。
N先生の次に大好きな先生だった。

4人の先生方これからどうぞよろしくお願いしますっ☆



2004.7.20 手術前日
いよいよ手術前日です。
朝の回診の時、動脈採血(血液中の酸素濃度を調べるために太もものつけねの動脈から採血する事。これは看護師さんではなく、医師が行います。)がありました。
K先生がやってくださったんですけど、全然痛くなかったです。


あたし「あれ?痛くなかった。刺した時も全然分からんかった。」
K先生「そうやろ、なかなかうまいでしょ、僕^^」
あたし「はい、すっごいお上手です〜☆」
K先生「ははは、何か無理やり言わしてるみたいやな、僕(^▽^)。」


何かこの先生和むな〜(*^。^*)♪と思っていたら、一緒にいた婦長さんが「ぷーやんさん、もしかしてりんごさんの親戚の方なん?」って聞いてきた。
ベッドの脇におかれている紙袋(転科の時、りんごさんがくれたヤツ)にはマジックでりんごさんの名前が書かれてあった。


「いいえ。親戚とかじゃなくて、内科の部屋で私の向かい側のベッドに入院してた人なんです。」
「あの人ね、前にここの病棟で婦長さんやったんよ〜。ちゃきちゃきしてたでしょ。」
「うそぉ〜!!」


どうりで気管支の病気のおばあちゃんが「婦長さん」ってずっと呼んでいたわけだ。元・婦長さんなら交友関係だって広いだろう。
ずっと不思議に思っていたりんごさんの正体がようやく分かってちょっと納得。

K先生が行った後、婦長さんが採血した部位を押さえてしばらく止血してくださった。


「内科ではずっとN先生やったんやね。(ずっとではないんだが・・・)」とN先生の話題をふってきた。
N先生のナースステーションでの言動とかいろいろ話してくださって面白かった。N先生ってそういうキャラなのかって笑えたよ。(何を聞いたかは内緒^^)
「きっとぷーやんさんはN先生とは相性ええんやろ。(腫瘍の)告知の時もN先生だから素直に聞けたんと違う?」って言われてしまった。
相性ね・・・。あたしとN先生って全く正反対なんだけどな、性格。
あたしは人見知りするタイプだけど、N先生は誰にでも気さくなタイプだ。合ってるかね〜??まぁ逆だからこそ返っていいのかもね(笑)。
告知にしても確かに他の先生だったら、「あたし死ぬんですか?」なんて言えなかったかも。N先生だから、口に出せないことでも口に出せてその分気持ちが軽くなったとは思う。
あたし自身N先生のパワフルなところに救われているところがあるって思う。

夕方5時ごろ、OT先生とH先生が胸水を抜きにきた。
2リットルまでのメモリがついた大きな容器を持ってきたので「そんなに肺の水たまっているんですか?」って聞いたら、「ううん、これしか入れ物なくって。」とは言ってたけど。
初診の時と同じように上半身裸になってベッドに座ってうつぶせになった。
OT先生が肋骨のあたりを触診している。
どうも胸水はあまり抜いたことがないみたいで、「ここかな、どこかな。」って二人で針を刺す位置を話し合ってる。
しばらくぶつぶつ言ってたけど、H先生が消毒をして、OT先生が麻酔を打った。
そしてまだ麻酔効いてないのに、すぐにぶすっと針を刺された。


(痛〜ぁっっ!!)


針をさした位置は的確だったようで「よっしゃ〜。刺せた☆」ってOT先生言ってたけど、痛かったよ・・・(涙)。


「結構でてるね。横隔膜のほうまでまわっとるんと違うかな。(腫瘍がってことか?)」
「こんだけたまってたら咳出るんも無理ないね。」等々二人でいろいろ話している。


「どお、このごろ食べれてる?」とかOT先生はあたしにもいろいろ話し掛けてきたんだけど(気をつかってくれてたんだとは思うが)・・・肺に針刺してる時に話し掛けてくるなぁ〜!!!
しゃべったら針が他の変なところに刺さりそうで怖いよ〜。
正直、胸水抜くのN先生のほうが上手だと思った。N先生は麻酔が効いてから針をさしてくれたし、刺してる間は話し掛けてこなかった。
さすが呼吸器専門の先生だけはあるな、と思う。

「もうすぐ終わるからね〜。」とOT先生が言った直後、もうれつに気分が悪くなった。
「気分悪い・・・」って訴えたらあわててあたしを寝かせて、看護師さんに点滴を持ってくるように指示していた。

・・・・・・・・・・・。
H先生にほっぺたを軽く叩かれてはっとした。どうやら少し気を失っていたようだ。腕に大きな点滴をされてしばらくすると、楽になってきた。
急激に体液を大量に抜いたので体が反応したらしい。
「顔色真っ白になるし、血圧が70にまでさがったからどうなるかと思ってはらはらしたわ。ほんとによかった。」と看護師さんが言った。
H先生の横にある容器をみたらソウケンビ茶のような色をした水が1リットルほどたまっていた。
「お茶みたいですね。」と言ったら「見せるつもりはなかったんだけど、これが胸水ね。」ってH先生が言った。
古い血がまじってるみたいな色だな、って少し不安になったけど、口には出さなかった。

点滴が終わって、深呼吸をしたら胸と背中が痛かった。夕食を食べ終わって、7時ごろ母と弟が面会に来た。
その後看護師さんが来て、へそのごまを取ってくれた。
オリーブオイルをへその穴にたらして、綿棒をくるくるまわして取るだけなのだが、これがまたくすぐったい☆
こんなとこ洗った事がないので、巨大なごまが取れた。
オリーブオイルさえあれば簡単にとれるんだな、って思った。

そして夜8時ごろ、なんとN先生が来てくれました☆わーい♪
夕方採った胸水の色のことを聞いてみたら、「胸水はああいう色なんだよ、心配ないよ。」って言ってくれたのでほっとした。
「先生のほうが(胸水採るの)うまいです☆」って言ったら「僕、臨床経験あるからね。」って嬉しそうだった^^
いろいろ話していたら「僕らもできる限りのことは協力するから。ぷーやんさんはあんまり深く心配しなくていいから。でもね、一番大事なのはぷーやんさんが病気と闘って行こうとする意志だからね。」 って言われた。

N先生や家族が帰った後、消灯前に下剤を飲んだ。今からは当分絶食になる。
N先生、ありがとう。先生の言葉で元気でました☆
明日の手術頑張りますっp(^-^)q☆